こんにちは、なにわの里の小池です。インフルエンザ大流行ですが、小池家も①次女A型→②それが長女に感染、一旦落ち着いたかと思ったら、③妻B型→④それが次女に感染、とバタバタな状態です・・・。妻のありがたみを感じるためのいい機会だと思い聞かせ、何とか乗り切ろうと思います。
今回はスタッフインタビュー第12弾です。
氏名:児玉 洋介
所属:入所・グループホーム2係(当時)
― 児玉さんがなにわの里に入職したきっかけは何だったんでしょうか?
親戚に知的障害のある子がいて、法事で親戚が集まったときなどに会っていたのですが、ご両親はかなり対応に苦労していたようでした。その様子を見ている中で、人を支える仕事に関心を持ったのだと思います。
前の職場から転職する際に、いろいろな仕事を見ていたのですが、障害者福祉の仕事もやはり気になっていました。その中でなにわの里を見つけて、見学に行くことに…という感じです。
― 前はどんなお仕事を?
霊園の事務所で働いていました。いわゆる営業の仕事です。
― お墓を販売する?
そうです。お墓って、一生に一度のものですよね。「こんなふうにして欲しい」といったお客様からの要望を聞き、それをデザイナ―に伝え、そのデザイン案をお見せしながらやり取りする・・・といったことをしていました。
― そうなんですね。その営業の仕事で得たことが、今の仕事に役立っている、みたいなことはありますか?
行間を読む、ということでしょうか。言葉では「はい」と言っていても、表情がちょっといつもと違ったりしたときに、何かあったのかな?と考えるのですが、これは営業の仕事の中で身に付いたことなのかもしれません。
担当している利用者さんがふらつきが強くなり、転倒をして頭部にケガをする危険が高くなってきたため、ヘッドギアを着用してもらった方がいいのでは、という話になったんですね。お母さんにその話をしたのですが、言葉では「うん…」「わかりました」と仰るんです。でも、どこかためらいやひっかかりがある感じで。
ヘッドギアの見た目が気になるのかと思い確認してみると、「そうなんです」とのことでした。そこで「外出する際は、ヘッドギアの上にニット帽をかぶるなどして目立たないようにすることもできます」といった提案をしてみると、了承をして下さいました。
― お母さんとしても、それは嬉しいやりとりだったでしょうね。やっぱりお互いに言いづらいことはあって、でもそこを汲み取った上でやりとりできたことで、また一つ関係が深まるんでしょうね。
― なにわの里で3年、一番印象に残っている支援は何ですか?
入ってすぐ、1ヶ月くらいのときに初めて実施した支援が一番印象に残っています。浴室の脱衣場に靴を脱がずにあがってしまう方がいたんです。どこで脱いだらいいのかわからないのかな、とは思ったのですが、では具体的にどう支援すればいいのかは全く分からなくて。
そこで先輩スタッフと一緒に取り組み、浴室の三和土のような場所に「靴箱」を置いてみました。「ここに脱ぐんやで」ということを指差しや手を添えながら伝え、その利用者さんも覚えようとしてくれて、できるようになったときは嬉しかったです。
― では、3年の中で一番大変だったことは?
先ほど話したふらつきが強くなった利用者さんなのですが、急にふらつくようになったり、食欲が落ちたり、また通院して検査をしても要因が分からない・・・ということがありました。対応策を考えても、次の日には状態が変わっていくといった状況でした。出勤して、記録を読むのがしんどい時期もありました。
でも、周りのスタッフの気遣いがありがたかったです。「こんな風にしてみたら」とか「今日はこんな様子やったよ」といった感じで声をかけてくれました。自分一人に押し付けられている感じではなく、みんな考えてくれていることが嬉しかったし、助かりました。
― では、まとめとして、この仕事のやりがいはどんなところですか?
何か支援をしたときに、利用者さんもそれに応えてくれて、何かができるようになったり、困っていることが減ったり、そんなことがやりがいなのかなと思います。支援者の働きかけに、利用者さんが応えようとしてくれるのが、自分にとっては一つのやりがいになっているのかと思います。
以上、児玉さんのインタビューでした。一番印象に残っている支援=最初に実践した支援、というのは何だか分かる気がします。「そのとき先輩スタッフに教えてもらった」と児玉さんは言っていましたが、その先輩スタッフも新人時代に誰かしら先輩に教えてもらったのだと思います。「オレもそうだったわ」と懐かしく思いながら支援について伝えていく、それがなにわの里の先輩後輩の関係性なのかな、とも思いました。児玉さん、ありがとうございました。(小池)