先日、なにわの里利用者さんの2回目のワクチン接種がありました。およそ半数の方に37度以上の発熱があり、接種の翌日と翌々日は日中作業をお休みにしてゆっくりと休んで頂きました。4日後には皆さん平熱に戻り、普段通りの生活に戻っています☺
スタッフも含めたワクチン接種完了の後、これから法人としてどうコロナと付き合っていくのか、そのあたりはまだ私自身も聞かされていないのですが、1年半ほどのあいだ帰宅ができていない入所・グループホーム利用者さんとそのご家族は特に今後が気になっておられることと存じます。
ふと大学時代に友人たちと交わした議論のことを思い出しました。割と熱いヤツらが集まっている友達グループだったようで(笑)、「親は自分の子どもだけの事を考えていいのか」といったことを議論していました。
多くは「当然、自分の子どものことだけ考えていてはいけない」「もっと言えば、自分の子どものことを差し置いてでも、周りに配慮できることが望ましい」という意見が多かったように記憶しています。当時22歳の小池青年はそれを聞きながら「ほんまにそうか・・・?」と胸につっかえるような気持ちをぬぐえませんでした。
たどたどしく「自分は12歳くらいから病気をして家にいたんやけど、父親と母親は本当に自分のためにいろいろしてくれた。それってあかんのやろか」といったことを発言したように記憶しています。「いや、子どものために何かするっていうのがダメなんて言っていない。自分の子どものため「だけ」になるとよくないね、っていう話」という返事をもらったのですが、それでも「そうか?本当にそうか?」と自分に問う気持ちは治まりませんでした。
周りの事を全く考えずに自分たちのこと「だけ」を考えるのは、問題の原因になることもあるかもしれません。でも、例えば親が先に逝くときに「私はあなた(自分の子ども)ではなくて、周りのことを優先して生きてきたんだよ」と言われたとしたら、また言ったとしたら、それはとても悲しいことのように思います。
周りが見えなくなるくらい自分の子どもを愛し、周りに迷惑がかかるくらい自分の子を何とかしてあげたいと願うことは、私はとても尊いことのように思うのです。「その思いを受け止める誰か」というのは必要なのだと思うのですが、その「誰か」も同じように「何とかしたい、何とかしてほしい」という気持ちでいっぱいになることもあると思います。そのとき、また違う誰かがその気持ちを受け止める、そんなお互い様のやりとりがあればいいのではないか、と思うのです。
私はいつも受け止める側、助ける側、なんてことはないはずで、人は誰しも弱い立場やしんどい状況に置かれます。そのときに、お互い様の精神で受け止め合う社会があれば、きっと人は生きやすくなるのではないか、と思います。そんな社会づくりに少しでも貢献できれば、と思っています🌻(小池)